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東急グループと電力事業の歴史

2015年に設立された東急パワーサプライ。
実は電力供給の歴史は戦前にまでさかのぼり、当時は53万燈以上の契約を保有していたのです。

玉川電気鉄道会社・田園都市株式会社の電燈電力供給業

鉄道と電気にはもともと深いつながりがありました。

東急グループの中核をなす東急株式会社。その歴史をひもとくと、より良い街づくりを目指して地域を開発し、電車を走らせ、沿線に電気を供給していた「田園都市株式会社」、「玉川電気鉄道会社」などが土台となっているのです。

田園都市株式会社の電燈電力供給業

田園都市株式会社は土地分譲とともに電燈電力の供給も行っていました。1922年、富士瓦斯紡績※1と電力受給契約を締結して、洗足地区への送電を開始。翌年には、群馬電力※2から受電し、多摩川台地区にも送電していました。

送電規模は小さかったものの、供給エリアには中流以上の文化生活者が多く、住宅電気設備の相談に応じたり、電気知識普及のモデルハウス「電気ホーム」を設け、電燈照明器具、電熱器具、扇風機、洗濯機などの展示説明を行いました。

田園都市株式会社の電燈電力供給業は、1928年5月、同社が目黒蒲田電鉄に合併後は目黒蒲田電鉄の電燈部門となり、さらに目黒蒲田電鉄が、玉川電気鉄道の電燈電力供給業を吸収した東京横浜電鉄を合併して、電力供給事業は飛躍的な発展を遂げました。

(※1)のちに富士電力から東京電力となる。
(※2)のちに東京電力に合併。

玉川電気鉄道会社の電燈電力供給業

玉川電気鉄道は電車開通の翌年、1908年5月から世田谷村、駒沢村へ電燈電力供給を開始しました。ランプから電燈の恩恵は大きく、当初は「ぜいたく」扱いだった電燈使用は、技術の発展により年々料金が下がるにつれて利用者が増加し、供給エリアも渋谷町、目黒村、高津村、向ヶ丘村と次々に拡張しました。電力受給源は、当初は大橋火力発電所から、その後は、富士瓦斯紡績から購入して送電していました。

1918年11月の第1次世界大戦終了後は工業用動力の利用増加とともに、電燈電力供給業もめざましく発展し、本業に並び、それをしのぐほどに成長しました。その後、1938年4月、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併となり、さらには積極的な沿線開発と相まって業績は向上し、1941年度には53万燈を超える事業規模となりました。

東京横浜電鉄の配電事業が配電統制へ

国際情勢の緊迫化とともに、発送電部門に続き、電気の配給事業に再編成の必要が生じ、1941年8月30日、配電統制令が公布・施行されました。これは全国を9ブロックに分け、各ブロック内の配電事業者を統合して配電国策会社を設立するもので、関東地区では11事業者のうち4配電会社が合併して関東配電となり、残りの7事業者が電気供給事業設備を出資することになりました。

東京横浜電鉄は、翌年(1942年)4月1日付で関東配電に出資を行い、貯蔵品(電線・電柱・碍子・変圧器・電球ほか一式)などを譲渡し、電燈電力部員279人も関東配電に転出。こうして、当社が1928年に合併した田園都市株式会社、1938年に合併した玉川電気鉄道の両社から継承した電燈電力供給業は、一旦幕を閉じることになりました。